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「隣人を自分のように、愛しなさい。」。
聖書:マルコによる福音書12章31節。
聖書は、「神は愛である。」と語りかけます。
神が、「愛」であるので、神につくられた人も、
愛し、愛されたいと願うものである。と、
語られています。
さて、18世紀と言えば、イギリスの産業革命の時代。
生活の豊かさの裏で、子どもの非行が増加。
1780年イギリスのロバート・レイクスは、子どもの
人徳教育のため、「日曜学校」を始めます。
使われたのは、聖書。読み書き教育も行われ。
やがて、「日曜学校」は、教会が責任者となり。
そして、名前も「教会学校」に。
さて、1856年アメリカのチャールズ・レオナード牧師は
教会で、子どものための、礼拝を始めます。
チャールズは、神の愛による授かり物、つまり、
子どもに対する、大人社会の、きちんとした責任を
説きます。それが、やがて、「子どもの日」と
なります。
さて、続いて1870年マサチューセッツ州の、ある牧師が
子どもの、すくすくとした成長を「花」になぞらえ
「花の日」礼拝を、始めます。
合わせて、5月、6月は、花咲く季節。神の愛の様々な
恵みに感謝して、子どもたちが、花を持って、
病院や社会施設を訪問、慰問。
こうして、「花の日」と「子どもの日」は合わせて
子どもたちに神への感謝と、社会への奉仕の精神を
教える行事となりました。
ところで、人がする愛の奉仕の大きさ・量について、
聖書は、0.3ミリ位の「辛子の種」程度の大きさで
十分。と語ります。花束で人の心にまかれた、
幼子の小さな小さな、『愛の種』。
その実を実らせるのは、人の力ではなく...。
神の愛の導きであると、聖書は、語るのです。
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